四谷大木戸跡  よつやおおきどあと
四谷大木戸  江戸名所図会
甲州街道と四谷大木戸
国道20号線と四谷大木戸跡碑   中央西から東に国道20号線が通る。四谷4丁目交差点から西が「甲州街道」で、東が「新宿通り」。新宿通りは四谷4丁目から更に新宿駅東口まで通じる。「四谷大木戸跡」の石碑は四谷4丁目の西側「甲州街道」と「新宿通り」が二股に分かれた三角のところに設置されている。「大木戸」は「四谷4丁目交差点」のところにあった。
四谷4丁目交差点から新宿通りに沿って西に新宿3丁目までが江戸時代「内藤新宿」であった。
四谷大木戸
四谷大木戸(間口2間半)は甲州道中を往来する人々を糺す目的で元和2年(1616)に当町(四谷塩町3丁目・現四谷4丁目)の西方(後の内藤新宿との境)に設けられたといわれ、大関戸とも記し、霞が関、旭の関ともいったという。大木戸際の北東にある馬改め番屋も同様の目的で徳川家康の江戸入り直後に置かれたといわれ、元禄年中(1652-1704)までは府内から付出す荷物はここで在町荷主問屋等の手形を改めた。
大木戸・番屋ともに寛政4年(1792)に取り払われた。なお、大木戸撤去後は甲州道中の両側に石垣(明治9年撤去)が築かれた。承応年中(1652-55)の玉川上水工事の際数ヶ月町人達が商売が出来なかったため、一町の左右に五箇所ずつ井戸を許されたと言われており、町内には玉川上水石樋から分水を設けた井戸が甲州道中に五ヶ所ある。
  
日本歴史地名大系
  東京都の地名
四谷4丁目東から西を写す。信号のところが大木戸跡。正面ビルの下に「四谷大木戸跡」の石碑が立つ。
石碑の位置から見た「四谷大木戸」のあった四谷4丁目交差点。
「跡」石碑
石垣を左(西)に出ると「内藤新宿」
区作成の説明板
2003/04