薬師の泉
所在地:板橋区小豆沢3丁目
清水薬師・清水坂 江戸名所図会
清水坂(図の左上から下り、さらに向こう側に降りていく坂)は現在の志村坂上から旧中山道、江戸時代の中山道を下る坂道である。江戸名所図会と、下図現在の地図を比較すると、名所図会は下図の北の方から南の志村坂上を見て書いたものであることがわかる。江戸時代ここに清水が沸いていたということは興味深いことであるが、さらに中山道がこの辺ではこの絵にある様にまるで山道であったことにも認識を新たにする思いである。
現在の薬師の泉周辺
薬師の泉水
新編武蔵風土記稿の文政9年(1826)の豊島郡の項には次の記事が載っている。
「大善寺、禅宗曹洞派江戸芝青松寺末医王山薬師院と号す。本尊薬師聖徳太子の作坐像長二尺許是を清水の薬師と呼ぶ。享保の頃有徳院殿(八代将軍吉宗)御放鷹の時、境内に清水あり、その流れいと清冷なれば清水の薬師徒と唱えよとの仰せあり。これより以来近郷にその名高しという。」
この故事から、中山道の志村坂を「清水坂」と呼ばれたと伝えられている。もっともこの坂は別名を地蔵坂とも言われた。それは坂の上り100mほどのところに石地蔵があったからである。この地蔵は今は総泉寺境内に子育延命地蔵として移されている。
大禅寺の開創は文明15年(1483)といわれ、文政8年(1825)ころ、第13世大林定云が再興を計ったが、それ以降は衰微の一途を辿って明治の中期頃からは無住になってしまったという。大正大震災で焼け出された浅草橋場の総泉寺が昭和3年(1928)にこの地に移り来て、大善寺を合併したのであった。大善寺本尊初め関係什器はすべて総泉寺に保有されたが、清水の池はそのまま放置された形で今日の姿を残している。
写真は語る
板橋区教育委員会
中台村
志村内にある飛地には曹洞宗大善寺(小豆沢3丁目の総泉寺に合併)があり、清水薬師として有名。永正15年(1518)建立とされ、開基青雲大善庵主は武蔵千葉氏の一族という。
日本歴史地名大系
東京都の地名
2004/07
現在の清泉
薬師の泉庭園入口
庭園内部
広域図
志村 中山道分間延絵図
大きな赤丸は清水薬師および大善寺。小さな丸は清水
清水坂拡大 中山道分間延絵図
清水坂は隠岐坂・地蔵坂ともよばれ、江戸を立って第一番目の難所といわれた。