天台宗 護国山 天王寺
ごこくさん てんのうじ
住所:台東区谷中7丁目 最寄り駅:JR日暮里駅

長耀山感応寺(ちょうようさんかんのうじ)
上野谷中門の外にあり天台宗にして本尊は伝教大師の作の毘沙門天を安置す。当寺始は日蓮宗にして宗祖上人を開山とし、日長上人中興ありて由々しき一宗の寺院たりしが元禄年中故ありて台宗に改められ、爾(しかりし)より後東叡山に属す。その時大明院宮の御願によりて叡山横川にありし伝教大師の作の毘沙門天の像をここに移し本尊とせらる。京師鞍馬山の毘沙門堂は比叡の乾(いぬい)に當(あた)りて仏法守護の道場なれば当寺も東叡山の乾に當を以(もっ)て鞍馬寺に比せらるるといへり。境内に桜桃の二花ありて春時爛漫なり。
五重塔 始(はじめ)当寺中興日長上人建立ありしが明和九年(1772)の火災に焦土となれり、よって寛政(1789-00)の今再建してむかしに復せり。
江戸名所図会
谷中感応寺に1644年に建立された五重塔は1772年に焼失した。その後1791年に再建されたものが1908年に東京都に寄付された。この再建五重塔は1957年放火無理心中事件で焼失し、現在は跡のみが「史跡」として残る。
天王寺五重塔跡
谷中感応寺五重塔 江戸名所図会

天王寺 根岸谷中絵図(1856)
寺号、宗派の変更があってまぎらわしいので先に整理しておこう。
鎌倉時代(1270年前後) 日蓮宗 感応寺創建
元禄12年(1699) 天台宗(改宗) 感応寺
天保4年(1833) 天台宗 天王寺(改称)



重要文化財「谷中天王寺五重塔」の焼失
史跡「塔跡」説明板より焼失前、火災中、火災後の五重塔
塔跡
天王寺
谷中天王寺の五重塔
昭和32年(1957)7月6日午前3時45分、谷中天王寺の五重塔は惜しくも焼失した。若い男女が恋を精算するために五重塔に火をつけて心中したのである。
通称、谷中の五重塔として親しまれた塔は総欅づくりで彩色せず、寛永寺の五重塔と比べて優雅さは無いが、男性的でしっとりとしていた。
明治の文豪幸田露伴は、塔の近くに住み名作「五重塔」を書いた。このモデルとなったのが矢中の五重塔である。
現在では矢中墓地の焼跡の礎石に区で建てた史跡顕彰立札が建っている。東京都旧跡に指定。
下谷・浅草 史跡をたずねて 台東区
左:天王寺本堂にある塔模型
かつてあった塔の模型とは異なるもののようであるが本堂に置かれていた。
天王寺
谷中7丁目の北方、JR山手線日暮里駅南東にある。護国山と号し、天台宗。本尊は毘沙門天。天王寺はもとは長耀山感応寺(谷中感応寺)といい、日蓮宗であった。寺伝によれば日蓮は谷中を通過するごとに関小次郎の家に宿泊し、関夫妻をはじめとする住民を教化した。のち日蓮は自刻の像を残して去り、関氏らはその像を本尊として寺院を建てて日源を開山にした。山号の長耀は関小次郎の名であるという。
寛永15年(1638)、3代将軍家光が鷹狩の途中立ち寄って住職日長と会見したことから将軍の帰依を受け、どう18年29690余坪を寺地として与えられた。寛文2年(1662)の「江戸名所記」は日蓮の忌日10月18日は参詣の人で混雑すること、願い事のある者は草履一速を持参して祈る習慣があることを伝えている。
だが感応寺は不受不施派であったため幕府の禁に触れ、元禄12年(1699)に天台宗に改宗を命ぜられて東叡山寛永寺の末になり、新たに住職となった慶運により最澄自刻の毘沙門天が本尊として本堂に安置された。明和9年(1772)の大火で諸堂は灰燼に帰したが、その後復興が進み、寛政3年(1791)にはのちに幸田露伴の小説で有名になる五重塔(昭和32年焼失)も再建された。

谷中天王寺 広重 絵本江戸土産
現在の五重塔跡
江戸時代の五重塔
現在の塔跡

江戸名所百人一首 近藤助五郎清春 1740年頃
改宗以降は檀家を失い、寺院経営が困難になったことから、富突興行を願出て1・5・9月の年3回興行を許された。許可の年月は不明であるが、元禄12年には始まっていたと考えられる。享保13年(1728)に富突をとがめられた寺院がある一方で、感応寺は前例を持って許されたという。寛政3年には全面的に禁止になったが、同10年には10年季で毎月興行を許され、天保13年(1842)に禁令が出るまで免許を更新されて盛んになった。その後幕府に許された湯島天神、目黒不動の興行とともに江戸の三富といわれた。
天保4年(1833)法華宗感応寺を池上本門寺の隠居寺として再興することが決定され、雑司ヶ谷に新たに感応寺が創建された。これに伴い谷中感応寺は護国山天王寺と改称した。
慶応4年(1868)彰義隊が屯営したために建物多数が兵火にかかり、五重塔など僅かを残し失われた。明治3年以降境内地の大半を接収された。
歴史地名体系 東京都の地名

天王寺大仏
門をくぐると、左に身長4.8mの銅造釈迦如来坐像が見える。1690(元禄3)年に作られたこの像は「天王寺大仏」の名で親しまれている。
江戸東京物語 新潮文庫
江戸名所図会の中で本堂左脇「九品仏」と書かれている露仏がこれであろう。
毘沙門堂
本堂 本尊阿弥陀如来
山門
毘沙門堂 本尊毘沙門天

2006/10