品川神社富士塚  (参考)
しながわじんじゃふじづか
     所在地: 品川区北品川 3-7-15
この富士塚は明治2年(1869)に造られた。江戸j時代の史跡ではないが江戸時代から続く富士信仰の場で、現在でも山開き行事が行われ、これが区の無形文化財に指定されている。そこで江戸風俗を知るための参考としてここに記録する。
富士塚  (区指定有形文化財)
正面入り口の急な階段の左手の小山が富士塚で、品川富士とも呼ばれている。富士塚は富士山を信仰する富士講という団体の人々が、富士山を遥拝する場所として造った人造の山。
品川神社富士塚は、明治2年(1869)に、北品川の丸嘉講(まるかこう)の約300人によって造られ、その後大正11年(1922)に、第一京浜国道の建設のため西に数十メートル移動して、現在の場所に再建されたものである。
丸嘉講では現在も毎年7月1日に「山開き行事」をやっている。この日、丸嘉講の人々は塚のふもとの浅間神社に、行衣(ぎょうい)という白装束で集まり、富士塚に登山して遥拝を行う。
しながわの史跡めぐり
富士の麓、浅間神社
上:登山道
 
 のぼり口には「一合目」の標識が立つ

中:
「元十三講」と書いた石碑で家紋様の図柄がたくさん描かれている。

下:「四合目」
のところにある石碑。あちこちにこのような石碑が建てられている。
左:五合目
 
踊り場になっている
左:五合目から見た山頂
山全体は火成岩の凝灰岩で覆われている。富士山から運んできたものであろうか?
左:八合目の登山道
左:頂上
左:裏側から見た富士

下:山裾に置かれた「無事蛙」
あちこちに「富士塚跡」をみるが、現存する藤塚に昇ったのは初めてである。
まさにミニチュアの富士山であっという間に頂上に着くことができる。
江戸時代、徒歩で富士山に昇ってくるのは大変な旅行である。こんな小さな模造の山でも、富士山遥拝の気持ちを持つことが出来たと言うのはありがたいことであったのだろう。
品川神社
北品川の鎮守で北の天王様として人々に親しまれ、江戸時代には北品川稲荷社、品川大明神、天王社と呼ばれていた。鎌倉時代の初め、文治3年(1187)に、源頼朝が安房国州崎大明神を勧請したものと伝えられる。室町時代以降も土地の豪族や豪商の庇護を受け、天正19年(1591)には、徳川家康から南品川・貴布禰神社(荏原神社)とあわせて5石の社料の朱印を受けている。
寛永14年(1637)の東海寺の建立に際し、境内の一部がその敷地となったため、代替地を賜った。また、神社の位置が東海寺の鬼門に当ることから、同寺の鎮守として江戸幕府の庇護を受けるようになった。
現在の社殿は昭和39年(1964)に。新築されたもの。境内には阿那稲荷社上社・下社、御嶽神社、浅間神社、道祖神社(石祠)等の末社がある。
しながわの史跡めぐり
:高張り提灯には徳川家の家紋が入っている
2005/09