竹園山 教学院 最勝寺
ちくおんざん きょうがくいん さいしょうじ
天台宗
江戸期住所:青山
現住所:世田谷区太子堂4-15


教学院
創建は応長年間(1311)江戸城内紅葉山で、開基は法印玄応和尚で、太田道灌の江戸城築城により麹町貝塚に移され、その後、赤坂三分坂に、慶長9年(1604)青山南町に3290坪の土地を拝領して寛永9年(1632)には移転を完了した。明治15年(1883)太政官布達により明治42年より3ヵ年を要して、世田谷区の現在地に移転した。
もと、青山南町は百人町といわれ百人の同心が住んでいた。この同心百人のうち三十七人が教学院の檀家に、六十三人が信者となり念仏講をつくり、一人三合宛の米を講の維持に奉納したので三合山教学院ともよばれていた。この三合の仏米拠出により閻魔堂が建立され、双盤念仏が盛んに行われた。
教学院パンフレット
閻魔王像
奪衣婆像
明治15年、赤坂「正善寺」にあった「目青不動」が教学院に移された。現在では閻魔様よりもむしろ「目青不動」の教学院として有名になっている。
今回教学院の閻魔様拝観に当り写真撮影はご了解いただいたがホームページへの掲載はご了解を得られず、イラスト画像で紹介いたします。
左:本堂
下:本堂脇にかかる閻魔殿扁額
場所地図は「目青不動」を参照してください。
2006/10