綿のおばば (わたのおばば)
新宿区指定文化財
正受院(しょうじゅいん)
所在地:新宿区新宿2丁目
最寄り駅:JR新宿駅 丸ノ内線新宿御苑前駅
奪衣婆
正受院 内藤新宿千駄ヶ谷絵図
三途川老婆・正受院と記入されている
奪衣婆(だつえば)像
三途の川のほとりで死者の衣類を剥ぎ取る恐ろしい老婆が奪(脱)衣婆で、新宿では太宗寺の奪衣婆と並んで著名なものとなっている。この奪衣婆は本村町に住んでいた旗本高力氏が、危難を救ってくれた婦人を妻とし、その妻の像を作らせたところ、余りにも恐ろしい姿に出来上がってしまったので、正受院に納めたものであるという伝説もある。(一説には平安時代の公卿小野篁(たかむら)の作という)。
この奪衣婆は咳止めの霊験があるとされていたが、霊力で泥棒を捕まえたり、灯明から燃え移った火を消したりという噂が広まり、嘉永2年(1849)春には参詣客が絶えず、線香の煙が四谷見附までたなびいて火事を思わせるほどの流行神となった。このときの盛況をしのばせる石造りの百度箱が本堂に置かれており、上総国夷隅郡山田大門村願主鈴木文吉や世話人線香屋元吉等の名がみられる。
新宿の文化財・史跡ガイドブック
宿場の出来事
幕末の内藤新宿をにぎわせた事件として、もう一つ正受院の奪衣婆一件があげられる。文禄3年(1595)起立といわれる正受院は、浄土宗の地院である。この寺には三途の川で人の衣類を身ぐるみはぐという奪衣婆の像が安置されている。この奪衣婆は子供の虫封じや咳止めの神として知られていたが、これが嘉永2年(1849)に大流行したのである。これに伴い大量の錦絵が発行された。
錦絵の絵柄には、奪衣婆の回りでさまざまな人々や動物が願をかけている様子が描かれているもの。この錦絵の特徴として、詞書が必ず添えられている点がある。これらのほとんどは身近な願い事が書き記され、この点からすれば、江戸時代後期に現世利益の神々が流行した一端を垣間見ることができる。
この多くの人々は紛れもなく江戸に住む人々である。江戸では数々の流行神がはやり、そのたびに多くの参詣者で賑わったが、その賑わいが内藤新宿の正受院までおよんだのである。流行神は江戸の中心だけではなく、次第に近郊の流行神を誕生させていた。江戸西郊の内藤新宿が舞台となり、さらにそれが江戸の人々に伝えられ参詣された。ここからは江戸の人々の情報網の中に、すでに内藤新宿が含まれていることを感じさせてくれる。
特別展 江戸四宿
実行委員会
三途川老婆 歌川芳勝
三途川老婆 歌川国芳
三途川老婆 歌川国芳
ひょうばんのばばや 歌川国芳
三途川老婆 歌川国芳
きつね、ばあさん 歌川芳虎
じいさん、ばあさん、あねさん
歌川国芳
三途川老婆 歌川国芳
平和の鐘
2005/01
右:奪衣婆堂
下:本堂扁額