称光山長延寺 華徳院
しょうこうさんちょうえんじかとくいん
 天台宗

  江戸期住所:台東区浅草橋2丁目
  現住所:   杉並区松ノ木3丁目

閻魔堂
八幡宮より南の方弐、三丁を隔つ。称光山長延寺と号す。本尊閻羅王は運慶の作にしてその丈(たけ)一丈六尺あり、額に閻王殿とあるは延享年中(1744-47)来聘(らいへい)韓人(かんじん)の筆なり。当寺は慈覚大師草創ありて昔は下野(しもつけ)国にありしを文永年中(1264-74)この地へ移すとぞ。ある説に昔は霞ヶ関にありしを国初の頃馬喰町(ばくろうちょう)へうつされ後今の地へ移るといえり。毎斎(まいさい・毎年)正月、七月の十六日参詣群集す。
江戸名所図会説明文

閻魔王坐像

長延寺閻魔堂  江戸名所図会

浅草御蔵前華徳院  浅草御蔵前絵図

2006/07

古跡拝領地729坪余、ほかに預地表門通77坪余。最初下野国佐野にあって慈覚大師開基、文禄年中(1592-95)霞ヶ関に、慶長年中(1596-1614)浅草に移って、閻魔王の別当となった。往古は理正院と称えたが、寛保3年(1743)、寺格大寺となり、延享中(1744-47)華徳院と改めた。華徳院は堀丹波守の法号。本堂は六間四方にして、本尊が閻魔王、一丈六尺の坐像(2.4m)、運慶の作と伝えられる。武蔵国都川の辺りに移せとの示現により、ここに安置したといわれる。閻魔堂が従来から存在していたのであろう。*
上、左:牛込行元寺より迎えた閻魔王像


下:日光輪王寺より迎えた閻魔王像

*姥堂(二間四方)に三途川婆の立像(一丈五尺五寸、閻魔王と同木、同作)があった。
東都歳時記解説

江戸時代にあった閻魔王像、脱衣婆像は本堂を含め大正12年(1923)関東大震災で全てを焼失する。そのあとに閻魔堂を再建し日光輪王寺より閻魔像を迎える。
本堂は昭和3年(1928)現在地に再建し牛込行元寺(現在は西五反田)より閻魔王像を本尊として迎える」。
蔵前の閻魔堂は昭和20年(1945)戦災で焼失したが閻魔像は焼失せず華徳院に移された。
寺院説明板

従って、江戸時代閻「魔詣り」で参拝したお閻魔様は今は存在しない。

右:本堂

下:山門

江戸三大閻魔の一